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更新日 2009-03-08 | 作成日 2007-12-08

東電OL殺人事件上告審判決

  • 状況証拠による事実認定のもろさ
  •  

状況証拠による事実認定は、いかにあるべきか。
かつて最高裁(最判昭48/11/13、判例時報725.104)は、「犯罪の証明がある」というのは、「反対事実の存在の可能性を許さないほどの確実性を志向したうえでの『犯罪の証明は十分』であるという確信的な判断に基づくものでなければならない。」そして、この理は、「もっぱら状況証拠による間接事実から推論して、犯罪事実を推定する場合においては、より一層強調されなくてはならない」としたうえ、「証明力が薄いかまたは十分でない状況証拠を量的に積み重ね」たとしても、「それによってその証明力が質的にに増大するものではない」と指摘した。

東電OL殺人事件は、被告人と真犯人とを結びつける直接の証拠が皆無であったため、検察官は、いくつかの状況証拠に基づく間接事実を積み上げて被告人が真犯人であることを立証しようとした。
しかし、検察官が掲げた間接事実自体、証明が十分とはいえないばかりか、その間接事実によっても、被告人の有罪を認定することは到底不可能であった。
ところが、東京地裁刑事第11部(2000年4月22日)と東京高裁第4刑事部(同年12月22日)の判決は、状況証拠について、全く正反対の判断をした。最高裁は、自らは示した基準に従って、無罪を言い渡した東京地裁判決を追認すべきであった。しかし、2003年10月20日、最高裁第三小法廷は、「適法な上告理由にはあたらない。」との一片の理由書で、弁護人の上告を棄却したのである。

1997年3月19日、京王井の頭線神泉駅近くのアパートの1階で、女性の変死体が発見された。発見者はアパートの管理人。所持品から、被害者は東京電力に勤務する会社員と判明、家人の話などから、殺害されたのは、3月8日の深夜と断定された。
被告人は、このアパートの隣のアパートに住むネパール人で、幕張のインド料理店に勤務していたが、当時、すでにオーバーステイであった。3月23日、出管法違反で、逮捕、5月20日、同事件で執行猶予付きの有罪判決、同日、強盗殺人の被疑事実で逮捕という経過をたどる。

東京高裁の判決によると、被害者は、97年3月8日深夜、売春客にコンドームを装着させて性交し、その後身支度を整えた際、売春客から持っていたショルダーバックを強く引っ張られ、頸部を締められるなどして殺害された上、所持していた現金4万円を奪われたとされた。その売春客が被告人であり、高裁判決がその決め手としたのは、現場の便器内に捨てられていたコンドーム中に 被告人の精液が発見されたという点であった。
このコンドームは、被告人が、2月28日の夜、被害者の売春客になったときに使用したものである。コンドームが発見されたのは、3月19日、被告人の弁解が正しいとすれば、その精液は、20日間を経ていたことになる。鑑定の結果は、精子の頭部と尾部が分離してることが認められ、20日以上経過と推認するのが合理的であることを示していた。高裁判決は、精子頭部の崩壊が認められないので、未だ、10日程度しか経ていないとして、犯行日に捨てられたものとしたが、弁護人が依頼して行った鑑定では、頭部の崩壊は20日以上立っても発生しないという結果であり、高裁判決の論理は全く成り立ち得ないのである。
一方、被告人の弁解は、被害者が所持していた手帳の記載とも一致しており、そもそも、殺人犯人が、現場に自分の精液が入ったコンドームを無造作に放置したと想定すること自体きわめて不自然である。

さらに被告人が真犯人でないことを明確に示す証拠の一つに、被害者の定期券が、豊島区巣鴨5丁目の民家の敷地内に投げ込まれていたという事実がある。発見場所は殺害現場から遠く離れているし、何よりも被告人には全く土地勘がなく、しかも、被告人の行動からみても、発見された3月14日までに、そこに赴く可能性も皆無なのである。
定期券は、真犯人かそれと密接に関係がある者によって投げ込まれたことは、疑いなく、高裁判決は、この事実の処理に相当困ったようである。判決は、この問題は、「未解決のままといわざるを得ない。」としたうえ、「これが明らかでないからといって、それ故被告人と本件の結びつきが疑わしいということになららないことは、本件証拠に照らして見やすい道理である。」ときわめて不合理と言うより意味不明の判示することだけで、この重要事実を切り捨てている。

東京地裁は、「検察官が主張する被告人と犯行との結びつきを推認させる各事実は、一見すると被告人の有罪方向に強く働くもののように見受けられるが、仔細に検討すると、そのひとつひとつが直ちに被告人の有罪性を明らかに示しているというものではなく、また、これらの各事実を総合したとしても、一点の疑念も抱かせることなく被告人の有罪性を明らかにするものでもなく、各事実のいずれを取り上げても反対解釈の余地が依然残っており、被告人の有罪性を認定するには不十分なものであるといわざるを得ない。」と判示しているが、これこそが、最高裁が示した基準に忠実あることは明らかある。

「合理的疑いを越えて」というのは、日本語ではその意味はわかりにくいかもしれない。英語では、「beyond a reasonable doubt」と表記する。最後に残った一つのあるいは、一人の疑いも払拭しないかぎり、有罪にされてはならないのである。
司法制度改革の本質は、このような刑事裁判の原則が守られる制度を創ることにこそあると言わなくてはならない。現今の議論は、それが置き忘れられている。
(週刊法律新聞2003年11月28日号所収)